千の風 35話
あったことも、はなしたこともないのに、あなたのことをしっているの
…負けるわけにはいかない…オレは強く…――…強くならなきゃいけないんだ
まるでそれは最強になるということを、「夢」ではなく「義務」のように感じているかのような、声を絞り出すように呟かれ
た台詞に彼の心の中に巣くう闇をは垣間見たような気がした。自分はこの声色の持ち主を知らない。しかし、先程から息
苦しくて心臓が止りそうな程の殺気も強くなることにこだわる彼の声も「ブラコン」と呼ばれたまだ少しだけ幼さの残る青年
の声のすべてが懐かしくて、そして愛しくてたまらない気持ちになるのは、確かで。――一体何故?私は何か大切なことを忘
れているのだろうか――それすらも分からなくて、歯痒い。
……勝つ…”強く”…もっと”強く”…”孤独”で”強く”なる…
深遠な闇の中で――彼の声だけが――響く。は突然胸の苦しさを覚えて、胸に手を添えた。苦しい――でもどこか悲しくて、
どうしようもない苛立ちとやるせない感情が沸き上がってきた。まるで彼の心情が流れ込んでいるかのような感覚に、は戸
惑いを覚える。――しかし。
「――知ってる…」
自分はこの感情を知っている。いや正しくはこの感情の持ち主を、自分は知っている。
苦しいのに、愛しくて愛しくてたまらなくて。懐かしくて、涙がとめどなく溢れてくるのは、私が彼のことを見知っているから
だ。記憶にはない。けれどまるで身体が覚えているかのように反応し、震える――自然と動く唇。漏れた言葉が意味するのは。
「――ほ、た、る」
――彼の名前?
――その時、聴覚と視覚が閉ざされた漆黒の闇のなかに一陣の風が吹いた。頬を撫でたそれはこの場所に似合わず、ひどく優しい
もので。風に好かれているかのようにの長く美しい黒髪が靡くのと、彼女の意識がなくなるのは、まったく同時のことだった。
「…まだ…まだおわらない、おわれない…オレが勝つ…」
ほたると狂の死合はどちらが勝利したかということは誰の目から見ても明らかなことだった――一度は倒れたものの、立ち上がり
不適な笑みを浮かべる狂をみれば誰でも。そして、”朱雀”の技をまともにくらったほたるにはすでに闘う余力など残っていない
ということも分かることだった――ゆやも、アキラも、梵点丸も、狂も。しかし、ほたるは何度も倒れては立ち上がる、今のほた
るを動かしているのは執念でしかない。”孤独”で”最強”になるという信念が今のほたるを動かす原動力となっているのだ。
「”孤独”でつよく、なる…”最強”になって、オレは…」
体力なんてもう当に限界を超えていた。それでも尚、身体が立ち上がろうと動くのは勝利への執念だ。
身体ががくがくと震え、力がまったく入らない。呼吸もままならない状態で、傷口から血が止めどなく溢れる。この状態のまま死
合をしたら、今度こそ命を失うかもしれない。それでも。自分の中にある”信念”が「動け」と命ずる――”孤独”で強くなるた
めに、狂をこの場で殺さなければ自分は”最強”にはなれない。
「”最強”になって、オレは…オレは…を――!!!」
を護るんだ――そう叫ぼうとしたとき――ふわり、と何かが頬を撫でた、
―― ほ た る
――――これは風だ。
そして同時に、自分を優しく包み込んでいるかのようなぬくもりを感じた。側には誰もいないのに、背中越しに抱きしめられてい
るような感覚。その感じがあまりにも優しくて、ほたるは目眩を覚える。
「……?」
自然と口にした名前。
知っている、自分はこの温かさを、そして温もりを。誰よりも愛しくて心の底から護りたいと思う、この世で一番大切な存在――
――姿は見えないのに、彼女の気配を確かに感じ、ほたるは辺りを見回すが、側には誰もいなかった。
――ほたるは”孤独”なんかじゃない…私や狂や四聖天の皆がいたよ
脳内に響くの声色が引き金になったかのようにモノクロに包まれた映像が再度、脳内に流れ込んだ。
視点は自分だ――も狂も他の四聖天のメンバーが自分を見て笑っている、一体自分はどんな表情をしているのだろう?
――本当に、ほたるは、”孤独”だった…?
「だって、オレ、は…」
――あんなに皆と一緒にいるときは居心地がよさそうだったのに?あんなに…
モノクロームに彩られた世界が見せたのは
――笑って、いたのに?
自分の笑っている姿だった
あまりにも衝撃的な映像に、ほたるは声が出なかった。しかし、不思議とそれを見ても不快に感じることはなくて。
――ほたる
「…っ…ああ、そっか、そう、だったね」
ずっと”孤独”だったから、壬生にいる時からずっと生命を狙われ続けて”孤独”で強くならなければいけないと思っていた――
けれど、皆と一緒に、たくさん笑って、たくさん喧嘩をして、それまで経験したことのない体験をたくさんして。そんなたわいの
ないことの一つ一つが楽しくて。それぞれの”道”が決して交差することはないということは分かりきったことだった――それで
も、自分は6人でいることがたまらなく好きだったのだ。とても居心地が良くて、温かかったかったのだ。
――ほ た る
「うん、わかってる、わかってるよ……」
まるで自分を後ろから抱きしめているかのようなそのぬくもりにそっと触れるように、ほたるは己の肩を強く抱いた。
そして一言。ほたるは狂に向かって「オレの負けだ」とはっきりと告げたのだった。
「…っ…」
全身が酷くだるかった。
頭のてっぺんから足の指先まで疲弊しているようで、まったく動かすことが出来なかった。とにかく疲れていた。
「ゆめを、みてた」
夢の中で、太陽の光のようにキラキラと輝く金髪の青年に会った。彼は酷い怪我を負っているにも関わらず、何度も倒れては立ち
上がろうとしていた。彼が何度も何度も「”孤独”で強くなる」と言うも度に胸が苦しくてたまらなくなって、気が付けば私は彼
を後ろから抱きしめていたのだ。
『……?』
彼も私の気配に気付いたようだった。しかし、彼の言う「」が私なのか分からなかった。それが私の名前なのかまったく聞き
覚えのない言葉だった――でも、彼がその名を口にした途端に、何だか魂と肉体が別れてしまったかのような奇妙な感覚に襲われ
たのは確かで。「私」なのに「私」ではない感覚。まるで誰かが私の身体に乗り移ったかと思わせるようなそれ――。再び意識が
遠くなって、再度目を閉じた。そして私は「ほたる」と呟いた。彼のことなどまったく知らないというのに。会ったこともまして
や話をしたことさえも。それなのに私は彼を知っている気がしてならなかった。身体が無意識に反応をする。
ああ――こんなにも懐かしい気持ちになるのは、一体何故なのだろう。
「ほ た る」
ゆっくりと呟いたその言葉は、いつまでも私の耳に残って、離れなかった。
このまま闇へと同化してしまえ、と思った。自我を捨てて、無になってしまおうと。
そう考えていた矢先に、現れた女。
「情けない、それでも貴方男なの?」
呆れたように俺を見やるその女の顔は――どことなくあいつの面影があって思わず目を見開いた。
「お、前…!」
「――ねえ、、」
助けてあげようか、と目を細めて笑う女の顔は、のそれとまったく同じだった。
あったことも、はなしたこともないのに、あなたのことをしっているの
だってこんなにも、あなたをいとしいとおもうんだもの
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