千の風 34話



 わたしはなにかをうしなったのか
  













  
 「き、狂オオオオオオオ!!」


  この世には存在しない炎――まるで地獄の業火のような炎が狂の体を燃やしてゆく

  あまりの力にゆやは近寄ることも出来なかった

  そして狂がその炎に焼かれていくの目の当たりにして、ただ、狂の名を叫ぶことしか出来なかった

  

 「狂ォ!!」


  ようやく消えた炎は意識が完全に途切れた狂の姿を露にする



 「き、狂!しっかりして!!狂!!」

 「黒き炎に耐えるなんて―…しぶとさは上達したのかな?今度はちゃんと殺してあげる」

 「や、やめて近寄らないで!!」


  震える体を叱咤して、ゆやは狂を背に庇うようにして立ち塞がった



 「…どいて、早く狂を殺してを連れ戻すんだから」

 「…つ、れもどす?」



  そこで初めてゆやは違和感に気付いた

  はここに来る前に、壬生の入り口でもある羅生門で何者から連れ去られたのだ

  先程まで自分の側にいたが一瞬の隙で意識を奪われ、そして――消えた

  それはもう突然のことで、歳子、歳世と名乗った彼女達の、女性特有の、高い笑い声が頭を離れない――そう、は壬生一族に攫われた

  それなのに、一体何故、同じ壬生一族であるほたるはそのことを知らない?


 「あな、た、知らないの!?」

 「…何を?」

 「さんは、あなた達、壬生一族に連れ去られたのよ!!」

 「え?」


  今まで淡々とした表情をしていたほたるの瞳が初めて揺れた



 「が…?」

 「そうよ!!さんは壬生の誰かに気絶させられて、それで…!!」

 「…ああ、成る程…だから狂は死合の最中だっていうのに上の空だったわけ、ね」

 「…っ…」

 「…誰がそんなことをしたのか分からないけど…が帰ってきたのなら話は早い、これで躊躇することなく狂を殺して――オレが最強になれる」

 「な…!!」

 「――最強の漢はオレ独りでいい、オレは誰よりも強くなって孤独で生きる、孤独が生んだ力によってを護るんだ」


  ほたるは狂との死合によって出来た頬の切り傷を撫でた

  撫でたことによって凝固しつつあった傷が開き、手を紅く染める

  特に気にすることなくほたるはゆっくりと紅く濡れた手によって己の顔に呪いをかけた

  ごくり、とゆやは咽を震わせる

  この技はかつて一度見たことがある技――焔血化粧、だ

  本気だ、とゆやは思う

  自然と体が震えるのを、止められることが出来ない
   


 「な、何よそれ!!狂を殺して最強になるですって!?」
 
 「そう、悪い?」

 「悪いも何も!そんなことをしてさんが悲しむのが分からない!?」

 「……」

 「さっき…さんの泣く姿はもう見たくないって言ってたじゃない!!…あなたが狂を殺したら!それこそさんが泣いて悲しむのが分からないの!?
  そんな…そんな力に護られたって、さんは絶対に嬉しくないはずよ!!」



  ゆやの言葉に、ドクン、とほたるの心臓が音を立てて鳴る、その響きは大きくて、脳に直接伝わるような感じで

  大きく波打った鼓動が、かつてが自分に向けた悲哀な瞳を思い出させた




  ――ほたる、どうしてそこまで孤独にこだわるの? そうまでして辰伶に勝ちたいの?強くなりたいの?



  の声が、脳内に響き渡る

  その声色は恐いぐらいに透明を帯びていて、空気に静かに浸透していくような声だった

  どうして自分は強くなりたいのだろう、と自問自答する

  ずっと孤独だったから、ずっと命を狙われて続けて、孤独で生き抜く強さが必要であるから だから孤独で強さを手に入れようと思った

  辰伶が人や友や壬生を重んじ、強くなると言うなら、自分は孤独で生きて強くなろうと、そう思った

  それが正しいのだと確信していた――けれど、



  
  ――それは、違う、間違ってるよ、ほたる



   
  否定した

  何が間違っているのか、と聞いても分からない?と質問で返すばかりで  


  
  ――だって、狂や皆と一緒にいる時のほたるは、あんなに居心地がよさそうだったのに?楽しそうだったのに?あんなに



  ドクン、と心臓がもう一度大きく鳴って



  ――笑っていたのに?



  ズキン、と頭が痛んだ

  鮮明に覚えているのはの悲しげな顔だけ







 「…っぅ…!」

 「な!?どうしたの…!?」



  苦痛の表情を浮かべながらほたるは頭を押さえた

  ゆやの心配する声などまったく耳に入ってこない、鼓膜を震わすのはの声だけだ、それも、悲哀を帯びた

  声が重なり合い、まるで不協和音のように脳内に響く、奏でるメロディーがひどい頭痛を起こしているのは間違いなくて





 (ほ た る )




 「…?」


  
  静かに脳内に直接響いたの声は幻聴を思わせるくらいに、儚く

  まるでその声色が記憶を呼び戻したかのように、頭に浮かぶのは四年前の、四聖天時代の頃の自分

  モノクロに包まれた映像、視点は自分なのか、その中で狂や、他の四聖天のメンバーは自分を見て笑っている、一体今、自分はどんな表情をしているのだろう?

  ズキン、ズキンと痛みは加速していき、何かを思い出しそうで思い出せない曖昧な感覚に、ほたるは無意識の内に青い空を見上げていた





  
  虚ろな目で虚空を見つめるほたるに、もう一度ゆやが声をかけようとしたその時、地面が大きな音を立てて揺れた



















 「…っう…」


  身体を襲う激痛は、どうやら簡単には癒えてくれないらしい

  あれから、自分が思う限りでは、長い時間が経過したように思うけども、痛みが治まる気配はまったくなく逆に悪化しているのではないかと感じてしまう程であって  

  傷口のどこかが化膿し始めているのかもしれないと、朧げに頭の中では思った



 「…ハァ…痛…」



  口元から顎を伝い、身体を流れる雫は、ついこの間まで己の心の臓を戒めていた水龍と言ってもいい

  自分をここで鎖に繋ぎ止めているという事実に気分を良くしたのかは知らないが、吹雪は指を軽く鳴らし、いとも簡単に呪を解いて

  命を解かれた水龍は只の液体となって口から吐き出され、胸を押さえ付けていた圧迫感が無くなった



 『…もうお前には、必要のないものであろう?』



  そこまで自信があるのか、彼の中には、自分を壬生から外の世界へと逃がさぬ大きな自信が

  ぐっと拳に力を入れた、爪が掌に食い込み、紅い血が流れてしまうのではないかと懸念を抱いてしまう程、強く強く

  唇を噛み締める、悔しさで心が一杯になる、溢れていくように、それはゆっくりとしかし確実に身体に浸透していき

  自分がこんなにも無力だと痛感する時がくるなんて、とは思う

  己の力に過信していたせいだろうか、まったくこれでは幸村のことを言える立場ではないとな、と思い、深い溜め息をついた

  

  だけでも自由になればと、自分が壬生の鎖に縛られていることでが鳥のように空を飛ぶことができるのならと思い、自分は敢えてこの場所に留まった

  そのために自分は壬生のものだという証として心の臓を水龍に縛らせた、この命は壬生のものであるという証明を見せるために

  しかし、それは何の効果も生み出さなかった、ほんの少しの間、と壬生の距離を開かせただけにすぎなかった

  離れることは出来ないのだと、逃げることは不可能だとあざ笑うかのように、の周りには壬生の影が少しずつ現れ、そして徐々に形を作り姿を成していき

  心のどこかでは分かっていた、しかし、もしかしたらという思いがあった、狂や他の仲間がいれば或いはという気持ちが心の奥底にはあった

  その油断が影が輪郭を持ち始め、を覆うまでに大きくなったことに気付かなかったのだ、自分は

  


 「…っ…」




  このような事態を招いてしまったのは自分の落ち度にある、とは確信をしていた

  自分はこの有り様で、早矢は捕われ、は心を失ってしまっている――八方塞がりの状態だ

  どんなに周りを囲む壁を壊そうにも、それを打ち壊すだけの力を今は完全に封じ込まれてしまっている…為す術がないことは分かりきったことであった




 「…ちくしょう…!」





  頬をつたう生暖かいものは、最後に見たのはいつだっただろうかと考えてしまうほど、久し振りに流した涙であった

 
  
    

  










  目を開けるのが億劫だった

  しかし、ただ面倒臭かっただけでなく、只目を開いても目に映るのは暗い闇でしかなかったから閉じていても開けていても同じなのではないかと思ったからだ



 『出た…ブラコンパワー』

 『てめえ…ぜってー殺す!』


  

  突如聞こえてきた台詞に思わず吹き出してしまいそうになるのを必死で堪える

  耳を震わす声はまったく身に覚えのないものなのに

  どうしてこんなにもこんなにも胸が苦しくなるのだろう、締め付けられるように切なくなるのだろう


  どうしてこんなにも、涙が溢れるのだろう




 「わた、し」




  
  何か大切なことを忘れている?



   
  声に出してしまったら、自分が自分では分からない何かを失っているということを認めたことになりそうで、慌てて口を噤む

  しかし、の疑心が確信へと代わるのに、そう大して時間はかからなかった


  魂を吸い取られてしまいそうな邪気を、息苦しくて心臓が止りそうな程の殺気を感じたのにも関わらず








  は心の中で確かに愛しさを感じていたからだ












  わたしはなにかをうしなったのか

  それがなにかはわからないけれど

  でも、きっと、とてもとても、だいじなもの







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