これは夢か、幻か


























  光も闇も存在しない異空間

  暗い闇が視界を覆い、まるで視覚と聴覚が麻痺をしたように何も見えないし、何も聞こえなかった

  
 「これは、夢?」


  その問いに答えてくれる者は誰もいない

  紡いだ言葉は闇に消え、先程の静寂な世界が再びやってきた

  
 「ここはどこ?」


  いつも見る夢の雰囲気とはまったく違い、恐怖が襲いかかる


 (早く目を覚まさなければ)


  意識を失う前に垣間見た男――ひしぎの顔が頭に浮かぶ

   太四老の一人である彼は一体何をしに樹海まで来たのだろう

  自分を壬生に連れ戻すために?狂の命を奪うために?京四郎に会うために?

  理由が何であれ、自分はいつまでもここにいるわけにはいかないことは確かだとは思った

  早く目を覚ましたい、早く夢から醒めたい、早く、皆の顔が見たい

  目を瞑り、心の中で何度も繰り返す

  ぎゅっと手を握りしめ、瞳を開けようとした――目を開ければ現実の世界に戻れると信じていたから

  しかし――パリンと音をたてて何かが割れる音がして、の思考は止まった

  
 「…え?」


  自分の中で何かが壊れる音がした、バラバラと音をたてて形が崩れていく

  心がぽっかりと穴をあけたように空洞になっていく感触だった


 「何、これ…」

  
  自分の中が無になっていくのがはっきりと分かる、しかし、それを止める術を自分は持ち合わせているわけでなく


 「いや、いや…!」


  拒絶の願いが聞き入れられるわけでもなく

  再び大きな音でパリンと砕ける音がした

  意識を失う前に頭に浮かんだ皆の顔も、バラバラと崩れていった
















 「ちょ、ちょっと待った!」

 「何?遊庵」

 「何?じゃねェ!お前、今自分が何をやろうとしてるのか分かってんのかよ!?」

 
  遊庵は顔に焦りの色を浮かべながらの肩を強く掴んだ

  
 「分かっていなければこんなことはしないだろう?」
 

  しかし、は鬱陶しそうに身を捻らして乱暴に腕の拘束を解く

  そして自由になった身体を再び動かし、手摺に足を掛けた



 「だから待てって言ってるだろォー!!」

 「だから何で止めるのって聞いてるだろ」


  遊庵が怒鳴り、が冷静に反抗する

  この行動を彼らは先程から何回も繰り返している

  遊庵がの態度に対して額に青筋を浮かべながらも彼の行動を止めようとしているのには理由があった

  彼、は、飛び下りようとしているのだ、この手摺から、下へ、底すら見えぬ遥か下へと

  今、彼らがいる場所は紅の塔の中部にあたる

  中部と言えども、紅の塔はかなりの高さがあり、その高さは旧約聖書に記されているバベルの塔そのものと言えるだろう

  まるで天に達しているのではないかと思わせる程の高塔、 ここから飛び下りようとしているのだ 、

  かと言っても、彼の実力を充分、いや、身体に染みて分かっている遊庵である

  が涼しい顔で難無くやってしまうだろうということは理解しているけども、やはり心配であることに変わりはないのだ

  しかし、遊庵の心配をよそには何度も試みようとしているものだから、こちらとしては本当にいい加減にして欲しいと遊庵は思う

  それはも同じようで、何度も飛び下りるのを邪魔されているものだから、彼自身にも我慢の限界が来ているようであった、その証拠に周りの空気が寒い

  

 「いい加減にしてくれる?遊庵」  

 「それはこっちの台詞だ!ここから飛び下りるようなんて何を考えてんだテメェは!」


  の鋭い眼差しにひるみそうになる遊庵であったが、仮にも自分は太四老である、という事実を必死に思い起こし、負けじと声を張り上げた


 「だってここから飛び下りた方が早いだろう?」 

 
  反対には冷静に答えた、そしてゆっくりとした動作で手摺に腰を掛ける

  彼の艶やかな漆黒の短い髪がさらりと揺れた

  何時の間に鳥の姿に戻ったのか、銀色の羽を羽ばたかせて早矢がの肩に舞い降りる


 「飛ぶって…、何を考えている?」


  今まで黙って静観をしていた時人が、可愛らしい顔を歪めながら口を開いた


 「愚問だね、時人、何度も言っているだろ?ここから飛び下りて吹雪の所へ行くのさ」

 「ハッ、飛ぶ?お前にそんなことが出来るわけ?」

 「出来るさ」


  きっぱりと答えたに迷いは感じられなかった


 「俺は、飛べる」


  柔和に微笑むに時人も遊庵も一瞬動きを止めて見入ってしまった

  だから、彼のしなやかな身体がゆっくりと後ろに傾いていくことに気付くのが遅れてしまった


 「「ッ!!」」


  叫んだ時にはもう遅かった

  の姿はそこにはなく、伸ばしたかけた腕には既に役目はない


 「マジで落ちやがった…」

 「何ボーッとしてるのさ、遊庵!」

 「痛てェ…!」


  呆然と立ちすくしていた遊庵は時人に脛を蹴られ、あまりの痛さに現実に引き戻された


 「ぐずぐずするな!の後を追うんだよ、このグズ!」

 「…イテテ…いや、でも追うたってよぉ」

 「がこれだけで怪我を負うとでも?」

 「思わねェな」

 「分かってるのならさっさと行くよ!早く吹雪さんの所に行かなければ…今のは何をしでかすか分からないんだから」


  時人の言葉に、先程のが見せた氷のように凍てついた瞳を思い出し、遊庵は背筋をぶるっと震わせた




  






















 「さあて、どうしたものかね」


  漆黒の短い髪をさらさらと揺らしながら、とん、と軽い音をたてて地面に降りた

  彼の背中には淡く銀色に光る大きな二枚の翼が生えていて、の中世的な顔だちを際立たせている

  見る者がいれば、その艶めいた姿に一瞬でも時を忘れてしまうだろう

 
 「の気配を辿れるか?早矢」

 『そうだね…』


  翼が銀色に光りだし、双翼はぐにゃりと歪んで徐々に鳥の形となった

  バサ、と羽を大きく羽ばたかせて、早矢はの肩に止まる


 『確かにの気配は感じるけど、今にも消えそうなほどに弱い』

 「時間がないな」


  歯をぎりっと強く噛む

  もしが吹雪とひしぎのすぐ側にいるとしたら、何をされるか分かったものじゃない、と


 (特にアイツ等は危険だと分かっていたのに)


  未来見の能力によって事前に知ることが出来たかもしれないのに、今回が壬生に連れ戻さるということに気付けなかったのは自分の甘さのせいだ

  己の力に過信をしていたのは自分ではないか、とは舌打ちをする


 「…の気が弱過ぎて気配が辿れない」


 (どうすれば)


  気ばかりが焦り、冷静に物事を考えることが出来なくなっていた


 (こうしている間にも、は…!)

 (――



  ――その時、微かに聞こえた声色に我が耳を疑った

  自分の名を呼ぶ声に目を見開く

  もう二度と聞こえぬ声が鼓膜を震わせ、脳内に響き渡る


 (――


  自分の名前を呼ぶだけで何を言うわけでもない、しかし、不思議と胸に広がる不安が徐々に消えていくのが分かった

  懐かしさを帯びるその声色が安心感を与えてくれる

  深く息を吐いて心を鎮める

  落ち着け、と何度も心の中で繰り返した

  

 (――ああ、そうだ、まだこの方法があったじゃないか)

 
  冴えた頭から一つの案が生まれた


 「早矢、確か俺の新しい刀はが持っていたな?」

 『え?ああ、確かとそうだと思ったけど』

 「なら、話は早い」


  の口がゆっくりと弧を描き、妖艶な雰囲気が漂う

  すらりと伸びた腕を前に出し、力強く、そしてはっきりとその真名を呼んだ


 「――響」


  名前が紡がれたと同時に、ドクン、と何かが脈打つ音を肌で感じる


 「見つけた」


   そのまま、はくるりと後ろを振り返り、目を細めて笑った


 (――心配を、かけたな)


  そこには誰もいない、しかし、彼が、自分を見て優しく微笑んでいるような気がしてならなかった























 

 「…妙だな」

 『妙?』

 「誰もいない」


  は走っていた足を止め、果てが見えぬ回廊をじっと見つめた


 「俺が向かっていることぐらい吹雪は分かっているだろうに、てっきり禁軍全軍を動かしてでも止めに来ると思ってた」

 
  俺を時人と遊庵のいる部屋へと呼んだのは恐らく時間を稼ぐためだろう

  それは何故か――奴等が陰で画策していることの中心にはがいる――恐らく、俺に悟られては面倒な何かをしようとしているからだ

  そのために敢えて自分を引き離した、しかし、そんなことは無意味だということなど分かるだろうに、気付かない俺だとでも?


 「…何を企んでいる?」


 (余程自信があるのか、もしくは楽しんでいるのか…)


 『…!』

 「どうした、早矢」


  早矢の徒ならぬ雰囲気には首を傾げたが、それは一瞬で、前方から感じる気配に目を見開いた
  

 「!」

 
  ふらり、ふらりと覚束ない足取りで自分の元に歩いてくる人陰は、今自分が探し求めていた妹であった

 
 「…

 「ッ!」


  自分の名が紡がれたと同時に、黒く長い髪が宙を待った

  身体が重力に逆らうことなく、前方に倒れる

  はタン、と軽く地面を蹴って、の身体を自分の腕で抱きとめた

  夢の中で触れたぬくもりとは違う温かさを肌で感じ、は目を細めた

  
 「…!大丈夫か!?お前、よく無事で…!」


   何よりも大事な妹が、こうして自分の目の前にいることに喜びを感じた

  ――しかし、それは束の間の幸せであった


 「…ぁ…ッ」

 『!!!』


  ドスリと何かが身体の中に刺さる感触がし、頭が真っ白になる

  ポタリポタリと、真っ赤な血が刀を通して垂れた

  
 「っ…ぁ…ッ…!」


  全身を切り裂かれたような痛みが全身を襲い、頭が上手く働かない

  今の自分の状況がよく理解出来なかった   
 
  これは夢か現か?

 

 「――壬生に逆らいし者には死を」


  意識が完全に遮断される寸前で見たの瞳は、光の無い深淵な闇の色をしていた










 「――壬生を裏切りし者には、報いを」


  無を宿した瞳を持つ彼女は、俺が知る妹ではなかった

















  これは夢か、幻か

  前者であって欲しいという願いは、聞き入れてもらえるのだろうか


  


   


  

    

 

  
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